かつて風俗島(売春島)と呼ばれた島の現在とは? 三重県・渡鹿野島

あなたは渡鹿野島を知っていますか?

三重県志摩市、伊勢志摩国立公園内の的矢湾にある離島です。
本土より船にて約5分程度で行けるハート型をした、知る人ぞ知る島です。

昔は「風俗島」「売春島」と呼ばれていた、ネットの一部では有名な渡鹿野島。
現在はどうなっているのでしょうか?

その実態に迫ります。

「風俗島」とも呼ばれる禁断の島、三重県渡鹿野島の歴史

渡鹿野島は江戸時代より、江戸と大阪を行き来する船が多く停泊する島でした。

古くより漁師の間では、荒天時の避難場所や「風待ち港」と呼ばれていました。
船が帆船だった時代に、良い風を待った港だと言われています。

このため船乗りのための宿が立ち並び、宿泊客を相手とした「把針兼(はしりがね)」と呼ばれる水上遊女も集まります。

渡鹿野島は、遊郭街として大いに栄えました。

島に住む女性も、船乗り相手に夜伽をして小遣いを稼ぎました。
売春させるため、島の住人が島外から養女を迎える事もあったようです。

これが、娼婦を斡旋する置屋文化のはしりになったとも言われています。
 

徐々に風俗島としての面影をなくしていった

明治時代に入ると、娼婦が島から出る事は禁止され水上遊女は廃絶となります。

しかしながら、渡鹿野島での売春行為は廃ることなく続きました。

昭和に入り第二次世界大戦中には、激しい空爆に襲われますが復興します。

そして80年代のバブル絶頂期にはパチンコ屋やストリップ劇場、ホテル、スナック、居酒屋等がひしめき、性風俗産業が盛んな「夢の島」として名を馳せました。

その頃になると、売春産業に従事するのは身売り同然の扱いとなっていた家出少女が大半だったようです。

しかし1958年、売春防止法の完全施行後、島の売春産業は徐々に衰退していきます。

それでも2000年代までは、性風俗産業が続いていたようです。
ですが2008年にリーマンショックの煽りを受け、今では風俗島としての面影はありません。
 

渡鹿野島は、現在では観光地化に力を入れている

2016年に伊勢志摩サミットが行われました。
開催地に近かった渡鹿野島は、再び注目を集めるようになります。

渡鹿野島の現在の人口は約270人。
その中でも性風俗産業に関わる人は、ほんの数人のようです。

島の観光協議会は渡鹿野島を「ハートアイランド」と称し、安心して観光できる島としてアピールしています。

伊勢志摩の海の幸が楽しめますし、毎年7月には渡鹿野天王祭が行われ賑わいます。
渡鹿野パールビーチという海水浴場もありますよ。

 
一部では、治安面に不安があるような事も言われています。
ですが「島に着いたとたん客引きが大量に来る」というウワサも、かなり以前の話。

体験談を見てもそんな話はなく、デマのようです。

島には昔は売春や斡旋の場だったと思われる廃業した旅館や、スナック跡があります。
廃墟となった旅館等が多いので、廃墟好きな旅行者にも人気の島のようですね。
 

まとめ

高齢化が進み、廃墟が目立つようになった渡鹿野島。

未だに以前の遊郭「風俗島」として、治外法権的な遊びができるというイメージがネットで一人歩きしている感じがします。

最後の桃源郷と呼ばれ、事実上の無法地帯だったという閉鎖空間が男心をくすぐるのかもしれません。

今も一応夜遊びはできるようですが、旅館でのコンパニオン宴会が中心のようです。

旅館は普通に宿泊できますし、アクセスも良いので夏場には観光で行ってみるのもいいですね。